2007年09月11日
君がいるから頑張れる。
いつも君が側に居てくれるから、僕は頑張れるんだ。君は大げさな事は言わない。
励ましもしないし、声を荒げることもない。ましてや褒める事なんてない。
ただただ、静かに、そっと僕の側にいてくれる。
そして、必要な時に、ホントに小さくそっと僕に教えてくれる。
僕が頑張りすぎたとき。
君は、そっと教えてくれる。大げさになんか言わない。
僕が頑張っていないとき。
やっぱり君は、そっと教えてくれる。大きな声も出さずに、いつものように、そっと。
多くの人のように、大きな声で応援してくれたり、注意してくれる訳じゃない。
君はただただ、僕の側にいて、その役目を果たしくれてる。
でも、君がいるから頑張れる。
僕が、本当に苦しくて、足に出来たマメが痛くて、もう立ち止まりそうになったときでも、
君はクールに、「ペースが落ちた」と教えてくれる。
そんな時、僕は、もうちょっと頑張ろうって思う。本当に頑張れる。
僕が、調子よくて、気分よく軽快に走ってるときでも、
君はクールに、「ペースあげすぎ」と教えてくれる。
そんな時、僕は、苦笑いをして、ペースを落とす。オーバートレーニングになるところだった。
そして、良いペースで走ってるとき、君は何も言わない。
黙って、じっと僕の側にいてくれる。応援したり、励ましたりはしない。
ありがとう。
本当に君がいるから、頑張れる。ホントに頼りになる。
もっと早くに君と出会っていれば良かった。
僕は独りじゃないんだね。
これからも、ずっと側にいてください。
2006年10月11日
一度言ってみたいセリフ。
大人をからかうもんじゃないよ。
2006年07月11日
ダイッッッッッキライ
タバコをポイ捨てする人。
キライ、最低。
なんでポイ捨てするんですか?
自宅でもポイ捨てするんですか?
公共の場でポイ捨てしないでください。
ダイッッッッキライ!!
禁煙と分かっていながら、
喫煙する人。
人の迷惑考えてください。
あなたに健康を害される筋合いはありません。
あなたにそんな形で不快感を与えられる覚えもありません。
せっかくのご飯も飲み物も、美味しくなくなります。その上、気分悪いです。
なんのための分煙かわからなくなるくらい、タバコは有害なんですか?
タバコは立派な公害だと思う。
ポイ捨てしたら、罰金500万円くらいにしたらいいのに。
タバコ1箱、5,000円くらいにしたらいいのに。
2006年05月20日
悲しい、という感情はなぜあるの?
人はなぜ悲しむの?
悲しい、という感情が人間に備わっているのはなんのため?
かなしみ
哀しみ 悲しみ
憎しみ 怨み 妬み
そういった感情ってやっぱり必要なのかな。
そういった感情があるからこそ、嬉しさとか、喜びとか、そういったものが増すのかな。
悲しみ、という感情があること自体が、悲しいと思う。
2006年04月19日
格好いいから。
教職という夢。
それは夢だった。
教員免許を手にした今、「本当にそれでいいのか」と自問していた。
教員免許を手にすることによって、教職が一層身近なものになった。
言葉をかえれば、手近なものに。
もっと、チャレンジしなくていいのか?
もっと、挑戦しなくていいのか?
教職にしろ、研究職にしろ、純粋になりたいという気持ちがあった。
でも、その裏に不純な動機もあった。
「なんか格好良いから」
映画「グッドウィルハンティング」、映画「パッチアダムス」、映画「ビューティフルマインド」
ドラマ「やまとなでしこ」
こういった作品にとても触発される。(どれも理系だけれど…)
ストーリーの中の彼らを見ていると、とても格好良いと思う。
それが、不純な動機だと思っていた。
けれど、ひょっとしたら、そうじゃないのかもしれない。
医者や病院ものの映画やドラマをみて、医師や看護師を目指す人もいるかもしれない。
アドベンチャーものの映画やドラマや本を読んで、冒険家を目指す人もいるかもしれない。
「格好良いと思うから」というのを理由の一つとして、
その職業についた人はどれだけいるんだろう。
例えば、全ての医師や救急救命士、介護士、看護士が
「人助けをしたいから」という理由だけなのかしら?
「格好良いから」という理由もなかっただろうか?
格好良いから教師になるんだ。
それが理由でもいいような気がしてきた。
もちろん、それに就けたから満足という訳ではないし、不断の努力は必要だし、
研究したい事は山ほどある。
ただ、「格好良いから」というのは、私が考えるほど、"不純"ではないのかもしれない。
しかしながら、
ドラマ「みにくいアヒルの子」、ドラマ「勝利の女神」、ドラマ「3年B組金八先生」、
ドラマ「さよなら小津先生」等を見ても、なんら触発されなかったけれど………。
2005年07月07日
何だか感傷的に。
出会いたくないのに、出会った、なんて人はいないけれど、
別れたくないのに、別れてしまう人は少なくない。

大学生であるこの3年3ヶ月を振り返ってみても、
沢山の出会いと別れがあった。
僕はいま 留学しようとしている。
日本を離れる。
多くの人たちと物理的に距離が遠く離れてしまう。
そうなれば、きっと心も離れていくんじゃないだろうか。
もちろん、渡航先でまた多くの出会いがあるんだと思う。
でも、いま持つ素敵な友人達はこの先どうなっていくんだろう。
大学在学中に留学したならば、留学から帰ってきても、
ほとんどの友人は大学生のままである。
でも、今回の場合はそうはいかない。
みんなバラバラになっている。
社会人になる者もいれば、学生を続ける者もいる。
はたまた、もっと違う事をしている者もいるかもしれない。
今の友人達と僕を結びつけているもの、それは同じ大学生であるということ。
卒業してしまえば、、、会う機会もほとんどゼロになるんじゃないだろうか。
今は、キャンパス内をうろうろしていれば、また出会うチャンスはあるけれど。
塾の講師のアルバイトをして、幾人も卒業生を排出してきた。
やっぱり、最後の授業はそれなりに寂しい。
もう二度と会えないかもしれないのに。
最後かもしれないこの瞬間に、僕は何ができるんだろう、っていつも考える。
それでもやっぱりその瞬間は来る。
そして、いつものように見送って。少し感傷的な気分になる。。
いま、僕は人生で大変大きなターニングポイントに立っているんじゃないだろうか。
とてつもなく、大きい。
不安や寂寥感が僕を取り巻いている。もちろん、期待や希望もあるけれど。
やっぱり、寂しい。
実習先でだいぶ良い思いをしてきたようで、未だに夢に見ることが何度もある。目覚めると、もの凄く寂しい気持ちになる。すぐに駆けつけようとも思う。
もう文化祭を逃したら会えないのかな。
こんな柔な心の持ち主だったら、教員はなれないのかな。。。
留学に行って、帰ってきたら、あの生徒達もバラバラになってるよね。
それは有り得ないくらい寂しいし、むなしい気持ちになる。
何とか出来ないものだろうか。
甘えた事ばかり考えてる。。。
以前(今年1月26日)にもこんなエントリーをしていたなぁ…。
基本的に、”別れ”には弱い。だって、やっぱり寂しい。。。それ以外の何物でもない。
2005年06月24日
事故現場を通過。敬礼はいつまで?
宝塚駅11:27発、快速同志社前行き。脱線事故により6月19日まで宝塚〜尼崎間でJR西は運転を取りやめていた。
今日は、その事故現場を通る電車に乗った。
駅の改札を通る前から、色々な思いが私の中を駆けめぐっていた。
京橋で降りるので、最後尾の車両に乗った。
以前と変わらぬ電車内。とても閑散としている。
それでも、停車駅では幾人かの人が車内に入ってくる。
宝塚駅を出発して約15分、事故現場を通過した。
何も無いはずなのに、少し足がすくんだ。
多くの人が事故現場を振り返っていた。
ビデオカメラを回す者も居る。
白い目隠しが一面を覆っていた。
マンションは本当に線路の側ギリギリの所に位置しているのだと、
この時初めて気がついた。
事故現場を通過する際、乗務員は敬礼をしていた。
それが、何だか印象的だった。
無事、京橋まで乗車することができた。
無論当たり前の事であるが、何だか安心した。
素朴な疑問なのだが、事故現場での敬礼、JR西いつまでするつもりなんだろう。
というか、いつ辞めるんだろう。
2005年05月08日
JR事故に対する一連の報道について。
JRは大変な事故を起こした。
マスコミが一斉にJRを叩き始めた。
そりゃ、どの企業にだってヤマシイ部分はあるだろう。
もちろん、そのヤマシイ部分を指摘するのは良い。
ただ、それが的はずれな指摘の仕方だとどうだろう。
正直言って、「何もそこまで」と思ってしまう部分がある。
結論から言うと、「結果論でしかない」ということ。
”犠牲者があれだけ出ているのに●●していたんですか”などと食ってかかる記者、
当初は事故の規模もよく分かっていなかったじゃないか。
その他細々としたJR職員の当初の言動が指摘されているが、
大部分は「仕方ない」んじゃないかな、とも思う。
事故の規模もよく分からなくて、本社からは何の連絡もなくて、っていう状態だったら
懇親会やっちゃっても仕方ないよ。
「何かあったら会社から連絡あるだろうし」って思わない?
もっと熱心な社員がいて、「助けなきゃ」「手伝わなきゃ」って思った社員もいたはず。
実際にそこで手伝いに行った社員が居るかどうかは知らないけれど、絶対にいるはずよ。
だって、人間だもの。
何が問題視されないといけないのか、何が指摘されないといけないのか。
それは、会社の風紀や、、、体制とでもいうのかな。そこを直さなくちゃ。
だから、「誰が悪い」という問題より、会社全体の問題だと思う。
それを直せるのは上層部の人たちだから、やはり社長や会長をはじめとする人たちが叩かれるのが筋だろう。
そして、現場の人間(中層部以下の人間)はそれに従ってきたのだから、仕方ないとも思う。
だって、変に反抗したりすれば草むしりやら辱めを受ける罰則が待っているのでしょう。
そりゃ、無理だよ。
断っておくが、別にJR擁護ではない。もちろんJRにも思うことはある。
JRを利用すると、ちょくちょく耳にするこのセリフ…
「定時運転にご協力ください」
「ダイヤの乱れの原因となりますので、駆け込み乗車はご遠慮下さい」
いや、そりゃ、ダイヤが乱れたりするのは困るだろうけれど、
じゃぁ、もっとゆとりのあるダイヤを組めよ。
停車時間を30秒とか、そんなの決めてるのはあんた達だろ。
ユーザーに思いやりのあるダイヤの組み方をしろ。
なんで毎回毎回遅れるのか、そりゃ、停車時間に無理があるからだろう。
じゃ、もっとゆとりのあるダイヤを組んでよ。
客を輸送するのが仕事なら、客を第一に考えろよな。
「定時運転」が仕事ではなく、「定時に乗客を輸送する」のが仕事だ。
もっと言えば、「運転」が仕事じゃなくて「輸送」が仕事。
乗客が乗せて初めて仕事が成立する。
なんか、勘違いしてるんじゃないか。
JR西日本が見直しを進める項目として、以下5点を挙げている
1. 安全優先の企業風土の構築
2. 新型自動列車停止装置の導入やカーブの速度超過対策など運転保安システムの整備
3. 列車ダイヤ
4. 安全を担う人材育成、運転士らの教育指導
5. 情報伝達
率直な感想としては、「え?今まで出来てなかったの?」
プロとして失格。
とにかく、それが問題で沢山の命が絶たれたのだから、もう二度と起こらないように
以上5点をはじめとして、あらゆる事を改善していってほしい。
ってか、鉄道じゃなかったら、潰れていたかもしれないよね、この企業。
そんな事いったら、鉄道じゃなかったらこんな事故はなかったと突っ込まれるけど。
2005年04月19日
自己解決な悩み(笑)
彼らはまだ部活を頑張っている。
一人は大手銀行に就職を決めた。
あまり後味の良い退部の仕方ではなかったけれど、彼らはいつもと変わらぬ笑顔で一緒にご飯を食べてくれた。
冗談も言ったし、思い出話もした。正直嬉しかった。
軽音楽部に戻りたいと今までに何度も思った事があった。
彼らと談話していると、その気持ちがまた強まる。
たとえ戻ったとしても認めてくれない人たちもいるだろう。
本気で僕が信念をもって、やる気を前面にだして、本気で頑張ったら認めてくれるかもしれない。
尻込みしているのは、逃げているから?
それとも、やっぱり現実的に無理?
戻りたいという気持ちも、明日になれば薄れていくかしら。
そういった葛藤も、日々弱まっていくのかしら。
どこかで寂しさを感じて、どこかで羨ましく感じて。
でも、僕は僕の道を生きていく。
そう、これが答えだ。
2005年03月26日
のんびりと、太陽の下で
普段は都会の中でしか生活していない、
だから、日本にある自然を直に感じる事は少ない。
時間のあるときに、近くにある山を散策してみたり、車を使って少し田舎の方を走ってみたりすると、
「日本にもまだこんなところがあったのだ」と変に感心してしまう事がある。
暖かくなってきて、日陰はまだ肌寒いかもしれないけれど、
良く晴れた日に、自然を感じられる場所でのんびりと過ごしてみたいものだ。
そんなところでは、本当にゆっくりと時間が過ぎる。
横になって空を見上げて居ると、雲がすぅーっと動いていく。
速いやつもあれば、遅いやつもある。
雲はすぐそこに浮かんでいるようにも見えるし、
ずっっっと遠くにあるようにも見える。本当にはどっちなのかはわからない。
時折太陽を隠して、影ができる。
しばらくすると、またのんびりと太陽が現れる。
太陽の眩しさと大きさを実感できる瞬間だ。
気持ちよくなって、すがすがしくなる。
いろいろと頑張りたくなってきたりもする。
まずは時間を作って、太陽の下でのんびりしてみたい。
2005年03月23日
血は?血筋は?
血は争えない
血筋は争えない
どちらが正しいの?
どちらも正しいの?
2005年03月08日
春を前にして思うこと。
少しずつ暖かくなってきましたね。嬉しい限り。
就職活動をしていない私、他の同級生と比べれば時間に余裕のある生活を送っています。
この季節にはいろいろな思い出があります。
入試、卒業式、入学式、、、
不安や別れ、希望や出会い。
いろいろな感情が入り乱れる時期。
どことなく寂しいけれど、でも暖かくなってくると嬉しくて。いろいろな期待を抱いたりする。
ちょっと複雑。
それぞれの季節にそれぞれの空気とその匂いがある。
今朝の空気を吸い込んでいると、沢山の人たちの顔が私の目の前を通り過ぎていった。
今頃どうしているんだろう。元気にしているかな。幸せかな。笑顔でいるかな。。。
やっぱり、なんだか寂しい。
2005年02月27日
責任とは。
せき-にん【責任】
1. 人が引き受けてなすべき任務。
2. 政治・道徳・法律などの観点から非難されるべき責(せめ)・科(とが)。法律上の責任は主として対社会的な刑事責任と主として民事責任とに大別され、それぞれ一定の制裁を伴う。
広辞苑 第四版
せき‐にん【責任】
1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての?がある」「?を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の?をとる」「?転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。
[類語] (1 )責務・義務・任務・本務・使命・職責・重責・責め・務め
Yahoo!辞書(大辞泉) 2005年2月27日
”責任”という言葉の意味はわかりました。
次に知りたくなるのは、それぞれに記載されている、
”人が引き受けてなすべき任務”や”立場上当然負わなければならない任務や義務”等の定義です。
”責任をとって、辞職します。”という事例は良く聞きます。
辞職することでどういった責任をとることができるのでしょうか?
辞めたって何も変わらないのではないでしょうか。
その人のポストがあく、誰かが後任する。それだけでは?
それで誰かの気がおさまるならそれでいいかもしれませんが、それが本当の解決法でしょうか。
ある従業員が何か失敗をする。
まず、その従業員は自分で何とかしようとする。
何とかできなければ、上司のところへいく。 なぜ?
同じ人間なのに、何かに対する責任をとれる人間ととれない人間がいる。
しかも、失敗を犯した本人にはとれなくて、極端な話関係のない人間が責任をとる。
不思議です。
責任を取れる人間と取れない人間の違いは何でしょうか。
地位や肩書きだけではないでしょうか。人は結局、地位や肩書きで生きているのではないでしょうか。
地位や肩書きがあがれば、大抵の場合給与があがります。”手当”がつくこともあります。
それはつまり責任に相当する給与と呼ばれるもの。
これは摂理なんですかね。
誰も疑問に思わずに従っている。
”給料泥棒”と言われる従業員もいる。それは、その給与に見合った仕事をしていないから。
つまり、給与に見合った仕事をこなさなければならないとなると、自分のついている役職に対して手当等、明らかに他の従業員とは差のある給与であるならば、それが責任に相当する給料になる。普段の仕事内容が他の従業員とはかわらなくても。
逆に考えてみればどうか。
自分はある仕事に対して失敗を犯した。しかし、それに相当する給与や手当を受けていない。そうなると、責任をとる必要があるのでしょうか。いいえ、”とることができる”のでしょうか。
自分の失敗で誰かに対して損失があった場合、その損失を埋めるという形で相当額を支払う事は確かに責任をとるということになると思います。
誰かを殺めた。刑務所で13年過ごした。これは責任をとったと言えますか?
責任ってなんでしょうか。また、責任を取るってなんでしょうか。
もちろん、仕事に対する責任、社会的責任、民事的責任ってまた違うのでしょうけれど。
よくわかりません。。。
みなさんは、何か思うことありますか?
次に何か飲み会があればネタはこれですかね(笑)
多くの人の意見を聞きたいです。
2005年02月03日
政治家に思うこと。
「衆議院予算委員会」です。NHK-BSで中継していたので見てしまいました。
| 面白いですね(笑) 中学生の頃から国会中継を見るのが好きだったのですが、再び面白さを実感しました。 政治家ってやはり口がたたないと務まらないんだろうなぁと思います。 予算委員会なので、お金の話ばかりでしたが中々に面白い内容でした。 政治とお金の関係は大変扱いにくいですね。どこまでが、公的なお金でどこまでが私的なお金なのか。あるいは、どこまでが献金でどこからが寄付なのか。微妙な所です。 まぁ、しかしよくあんなに話せるものだなと(笑) 連日あんな事ばかりして、体力持つのかしら。 お金の力だけによって歪められた政策なんて必要ないですよね。 そりゃ、政治活動を行っていく上で沢山のお金が必要になるだろうし、援助もしてもらわないとダメだろうけれど、彼らにもう一度気づいて欲しいのは、お金の為に政治をしてるんじゃないよ、と。 我々国民の為に政治活動を行っているということを常に意識していて欲しい。 自分は代表であるという自覚はあるのだろうか。お金だけに目がくらむようじゃ、代表として最低だ。 国民に敬われるような議員になって欲しいな。 他の議員の支持を得るのではなく、民衆の支持を手に入れてみなさいよ。 |
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2005年01月26日
友よ。 出会いと別れ。
あの日あのとき、仲良くしていた友人知人達。
今頃、どうしてる?
なぜ、僕たちは今、あのころのように親密じゃなくなってしまったんだろう。
どうして、あの頃のように当たり前の様に笑いあっていないのだろう。
いつ頃からか、特に明確なきっかけもなく友人達は自分の元を徐々に離れていく。
どうしてなんだろう。
新しく出会う人たちとは、また違った付き合い方になる。
あの頃の友人達と交わした笑顔やそれに伴う笑い声は、今はもう出ない。
人は出会いと別れを繰り返す。
僕たちは別れてしまったの?
いつまでも、こうやって笑いあってる。一生変わらぬ友と信じていた。けれど。
友との関係が薄くなっていくのは、僕自身に問題があるからなのだろうか。
それとも、それが世の中の道理ってもんなのか。
もう一度、彼らに会いたい。会ってくだらない話をして、笑いあいたい。
時間がたつのも忘れて語り合った。叫び合った。歌い合った。喜び合った。
同じ時間を共有して、同じ感情を共有して。
しかし、今はどうだろう。
それぞれの道を歩み始めてしまった。もう戻れないのか。
僕は過去に縋り付くみっともない男だろうか。
現実を受け入れる事のできない、悲しく寂しい男だろうか。
雪がいつか溶けてしまうように、僕らの関係もいったんは盛り上がるけれど、いつかは溶けてしまうのかな。
今の友人もそうなってしまうのかな。
切ないね。イヤだね。
増え続けるものじゃないのかな。それじゃダメなのかな。
いつかまた、友人は入れ替わっていくんだろうか。
寂しいね。哀しいね。
やり直せるなら、取り戻せるなら、離れなくてすむのなら、
ぜひ、そうしたい。
嫌いになった、友人なんていない。会いたいよ、友よ。
僕が悪い事をしてしまったかもしれない。したこともある。
許してくれ。僕は寂しい。つらい。
いつかまた、いつかまた、笑って話し合える日を。
いつかまた、肩をたたき合って、励まし合って、冗談を言い合える日を。
いつかまた、夢を語り合える日を。
いつかまた、いつかまた、一生の友だと実感出来る日を。
待っている。
待ち続けている。
友よ、僕は成長するよ。
だから、いつかまた僕と語り合ってくれ。笑い合ってくれ。
頼む。僕を置いていかないでくれ。
友よ、また会う日まで。
きっとまた会える日を信じている。
だから、僕は日々を生きていけるよ。
だから、僕は今を生きているよ。
友よ。






